大判例

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大阪高等裁判所 昭和50年(う)828号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人を禁錮四月に処する。

この裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予する。

原審における訴訟費用は、全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は弁護人河野勝典、同前田知克および同赤松範夫共同作成の控訴趣意書記載のとおりであるから、これを引用する。

(控訴趣意第二について)

論旨は、要するに、「被告人に対する本件緊急逮捕は違法であり、したがつてまたこれに引続いてなされた勾留も違法である。原判決は正当にもこのことを判示しながら、右違法な拘禁中の取調べによつて作成された被告人の自供調書の証拠能力を認め、これを証拠に供して原判示の罪となるべき事実を認定している。しかし、違法な拘禁中に収集された自白は、他に任意性を背認すべき特別の事情のない限り、原則として任意性が否定されるべきである。仮に原判決がいうように、他に特段の事情のない限り違法な拘禁中の自白であるとの一事によりただちに任意性が否定されないとしても、本件においては、被告人が痴愚の段階に属する精神薄弱者で判断力、推理力に乏しいため容易に他人の暗示などの影響を受けやすく、かつ迎合的な返事をすることがあるという特段の事情、および、かかる被告人に対する取調担当官は被告人に質問する前からすでに本件を放火事件と確信して捜査にあたつていたという特段の事情が存在するから、前記違法拘禁中の被告人の自白は任意性に欠けるものというべきである。してみれば、原判決は証拠能力のない証拠を採用して罪となるべき事実を認定した点において訴訟手続の法令に違反しており、この違法は判決に影響を及ぼすことが明らかである。」というのである。

よつて記録および原審における証拠調べの結果にもとづき調査するに、

被告人は昭和四八年四月二一日(土曜日)午前六時過ぎごろ竜野市内で本件火災が発生した直後ごろに現場付近から逃げて行くところを目撃されており、この逃走した男が近郷太子町鵤の田中文一らしいと知つな警察官においてその行方を探索中、同日午前一一時一八分ごろ同市内において手配の年齢、風体に酷似する挙動不審者(被告人)に出会つた兵庫県竜野警察署司法巡査二名がこれに氏名を尋ねたところ田中文一ということであり、同市内の同警察署に任意同行したうえ問いただすと、現場の二階のわらに火をつけた等と自供し、関係者による面割りその他から同人の犯行に間違いないと思料されたので、同日午後一時二〇分ごろ同司法巡査らは同警察署において被告人を非現住建造物放火の疑いで緊急逮捕した。右逮捕後、逮捕者たる両司法巡査は午後一時二五分ごろ被告人を同警察署の司法警察員に引致し、被告人を受取つた司法警察員において直ちに犯罪事実の要旨および弁護人を選任することができる旨を告げたうえ、被告人に弁解の機会を与えて弁解録取書を作成したが、直ちに裁判官の逮捕状を求める手続は行なわれず、同警察署の捜査係の警察官(司法警察員)は、同日午後二時がら同二時三〇分までの間被告人を被疑者として立会わせて火災現場の実況見分を行い、さらに同警察署に連れ帰つた被告人を同警察署で被疑者として取調べて供述調書を作成するなどし、この供述調書等を資料としで明記した前記逮捕者たる司法巡査中の一名名義の逮捕状請求書により同市内にある竜野簡易裁判所宿直を窓口として同簡易裁判所の裁判官に緊急逮捕状の請求がなされたのは、同日午後八時零分のことであつた。その後同日中に同裁判官によつて緊急逮捕状が発せられ、同月二三日午前九時三〇分司法警察員は被告人を神戸地方検察庁姫路支部の検察官に送致する手続をし、被告人を受取つた検察官は適式の手続を経たうえ同日中に神戸地方裁判所姫路支部の裁判官に被告人の勾留を請求し、同裁判官は適式の手続を経たうえ同日中に勾留状を発して被告人を勾留する旨の裁判をし、その勾留状は同日執行され、被告人は起訴前の勾留期間中である同年五月二日勾留のまま本件公訴の提起を受けた。

以上のことが認められる。

憲法三三条は、現行犯として逮捕される場合を除いては、何人も権限を有する司法官憲(具体的には裁判官)が発した逮捕令状によらなければ逮捕されないことを保障している。本件の逮捕は現行犯人逮捕にはあたらず、刑事訴訟法が規定する緊急逮捕の案件である。緊急逮捕は、現実の逮捕の時点ではまだ逮捕状が存しないが、刑事訴訟法二一〇条一項の規定するところに従い逮捕後「直ちに」逮捕状を求める手続をし、逮捕に接着した時期において逮捕状が発せられることにより、全体として逮捕状にもとづく逮捕手続であるとの観察を受け、ここにはじめて右憲法の規定上是認されるものとなるのである。本件においては、前記したところによれば時間的関係等においてすでにこの「直ちに」の要件が欠けていることが明らかであるから、警察官は現行犯人でない被告人を逮捕状によらずして逮捕し拘禁したことになり、その違法性は重大である。その後逮捕状が発せられるには至つているが、性質上、このことにより逮捕状にもとづく逮捕、拘禁であると観察し直すことはできない。

ところで、憲法およびこれにもとづく刑事訴訟法は、このように現行犯人にはあたらない被疑者を逮捕状によらずして逮捕拘禁し、その拘禁状態の中で被疑者の取調べを行い、これによつて得られた供述をその者の有罪認定の資料に供することなどはまつたく予想しておらず、むしろ刑事訴訟手続における内在的な制約としてかかることを排斥する(許容しない)趣旨であると理解することができる。そして憲法三一条の趣旨に照らすとき、かかる違法な逮捕拘禁状態中における取調べによつて得られた供述およびこれを録取した供述調書は、その収集過程に違法があるものとして当該被疑者の有罪認定の証拠に供することは許されず、少なくともこのような意味において証拠能力がないものと解するのが相当である。

したがつて、原審において取調べられ、原判決が被告人の有罪認定の証拠として挙示する、被告人の司法警察員に対する昭和四八年四月二一日付供述調書(それが逮捕後勾留までの取調べによつて作成されたものであることは証拠上明らかである)には証拠能力がなく、これに反する原判決にはこの点で訴訟手続の法令違反があるといわなければならない。

所論の各自供調書(原審で取調べられ、原判決が有罪認定の証拠として挙示する、被告人の検察官および司法警察員(五通)に対する各供述調書)のうち、その余のものはいずれも逮捕に続く勾留中の取調べにかかるものである。かかる勾留中の取調べにかかる供述(供述調書)の証拠能力については、なお別異の考察を必要とする。

起訴前の被疑者の勾留は適法な逮捕状態を前提にしてはじめて許される(逮捕前置主義)。すなわち、捜査官憲は、違法な逮捕状態を前提にしては被疑者の勾留請求権がないのが原則であり、かかる勾留請求を受けた裁判官は、原則として勾留の請求を却下して被疑者の釈放を命じなければならず、その点の判断を誤つて勾留状が発せられたとしても、起訴前の段階にある限り、原則として準抗告により取消される。本件は、現行犯人にはあたらない被告人を逮捕状によらずして逮捕拘禁していることになるのであるから、その違法性の程度は大きく、少なくともこれを前提とする勾留の請求は却下されなければならなかつたのであり、この点の判断を誤つた勾留の裁判は、起訴前の段階にある限り準抗告によつて取消を免れ得ない命運にあつたものとみることができる。かかる意味で被告人に対してとられた勾留の裁判は違法であり、その限度においてその勾留状による起訴前の拘禁状態は不適法なものであつたということを妨げない。

しかし、勾留請求の前提となる逮捕状態の違法の有無およびその程度の大小は、必ずしもその逮捕に続く勾留中の被疑者取調による供述獲得過程(証拠収集過程)の違法の有無、大小とは軌を一にしない。なぜならば、そこには、憲法および刑事訴訟法上捜査官憲とは別個独自の使命、職責と権能を有する裁判官が、逮捕手続における違法の有無を審査するとともに、将来に向つて被疑者の身柄拘束を続けるか否かを審査したうえでこれを許容することを宣明した勾留の裁判が介在しているのであり、たとえその勾留の裁判における判断に誤りがあつたとしても、勾留状そのものは有効であり、その後の拘禁はこの勾留状にもとづくものになるからである。そして、その勾留の裁判における勾留状の発付が憲法、刑事訴訟法の解釈、運用の実情に照らし、適正な判断基準を大きく逸脱している場合、あるいは、請求者側が逮捕状態の違法性の判断を誤らしめるような虚偽の申述をなしもしくは虚偽の資料を提出し、あるいは右判断に資するべき事項について申述を隠秘しもしくはその種の資料を隠秘するなどして裁判官の右判断を誤らしめたような場合でない限り、たとえ捜査官憲が自らの手で違法な逮捕拘禁の状態を惹起させていたとしても、勾留状が発付された後は、勾留の裁判は適法になされているものとの推定のもとにこれを信頼し、その勾留状による拘禁を前提にしてその後の被疑者の取調べ等を行うことを強く非難することは相当でなく、このようにして被疑者を取調べ、これによつて得られた供述(供述調書)を当該被疑事実につきその者を有罪に認定する証拠として提出すること自体をもつて訴追側がクリーンハンドに反しているとまでは言い難いものがある。むしろ、このような場合においてなおも右供述(供述調書)の獲得過程に違法があるものとしてこれを理由にその証拠としての許容性を排斥することは、かかる方途によつて捜査官憲による違法な証拠収集を抑圧しようとする目的の範囲を超えるとともに、手続の発展的性格を無視することにもなるのである。したがつて、前記のごとく勾留状が適正な判断基準を大きく逸脱して発布せられた場合や、請求者側に不正のあつた場合でない限り、違法な逮捕状態に続く勾留の場合であつても、勾留状にもとづく拘禁中の被疑者の取調べによつて得られた供述(供述調書)をその者の有罪認定の証拠に供することの許容性を、逮捕の違法を理由にして排斥し、その証拠能力を否定することは相当でなく、このように解しても憲法三一条の精神である適正手続条項に背反しないと考える。

これを本件についてみるに、いまだ前記のごとく裁判官が勾留状の発布にあたり適正な判断基準を大きく逸脱している場合にあたるとはいえないし、「直ちに」裁判官の逮捕状を求める手続がなされているか否かの適正な判断は、その時間的関係等だけからしてすでに裁判官にとつて十分に可能であり、その点について請求者側に不正があつたとも認められない(逮捕状を求める手続をする前に被告人を被疑者として実況見分に立会わせあるいはこれを被疑者として取調べた事実は勾留の請求にさいし必ずしも明らかにされていなかつたかもしれないが、この点は、もはや「直ちに」の判断に直接関係がなく、かつ、逮捕状によらない逮捕拘禁という違法性の上にさらに違法性を附加するものでもない)から、勾留中の取調べにかかる前記その余の各供述調書の証拠能力の有無は、本来の意味での任意性の観点からのみ論じ得るに過ぎないのである。

そうすると、所論のような諸事由があつただけでは右その余の各供述調書の供述の任意性を疑うには至らないから、これらを取調べたうえこれを被告人有罪認定の証拠に供した原判決には所論のごとき訴訟手続の法令違反はない。

結局、所論の訴訟手続法令違反の主張は、前記逮捕拘禁中の取調べにかかる四月二一日付供述調書についてのみ正当であり、その余の各供述調書については失当であるが、原判示の罪となるべき事実は、右四月二一日付供述調書を除く原判決挙示の各証拠によつて優にこれを認定することができるから、右訴訟手続の法令違反は判決に影響を及ぼさない。論旨は理由がない。

なお、右その余の各供述調書をさらに除いてみても、原審第二回公判調書中の被告人の供述記載をはじめとする原判決挙示のその余の各証拠によつて原判示の罪となるべき事実はなおかつ優にこれを認定することができ、他にこれに反する証拠はないから、所論主張のごとき訴訟手続の法令違反は判決に影響を及ぼさず、論旨はこの点からしても理由がない。

(控訴趣意第一について)

論旨は、要するに、「痴愚の限界者として心神耗弱にも該当するとされている被告人の能力の程度と、当時被告人が置かれた具体的な情況とを総合考慮すれば、被告人には本件火災の発生につき重過失はもとよりのこと、普通の過失すらなかつたと認められるから、これに反する原判決の認定は判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認である」というのである。

所論はまず、「過失犯が成立するためには、一般通常人を標準とした客観的注意義務の違反(構成要件、違法性の要素)と行為者本人を標準とした主観的注意義務の違反(責任の要素)とがなければならず、その過失が重過失であるか普通の過失であるかは、右構成要件、違法性および責任の全段階を通じて検討しなければならない」と主張するが、この主張には誤りがあると考えられる。すなわち、ある違法な結果の発生につき過失犯が成立するか否かを考えるにあたつては、まず第一に構成要件該当性、違法性の問題として、個別的具体的な情況のもとに一般通常人の能力を標準として要求される客観的注意義務に違反する過失行為があつたか否かを検討し、次に結果に対する帰責性の問題として、行為者本人の能力(主観的注意能力)の点から右行為による結果発生の予見可能性および回避可能性があつたか否かを検討しなければならないのであつて、このことは原判決が説示しまた所論も指摘するとおりであるが、その犯行が重過失犯にあたるか普通の過失犯にとどまるかは、行為の構成要件該当性、違法性の問題として、右第一次の検討の段階でのみ決せられる事柄である。換言すれば、当時の個別的具体的情況のもとで一般通常人の能力を標準として考えてみた場合に結果の予見可能性(結果発生の危険性)が高く、社会生活上その回避が要求されるとともにそれが容易であり、したがつて当該過失行為の客観的注意義務違反の程度が顕著であつて違法性が強いとみられ、それが法律上重過失にあたると判断される以上、第二次の帰責性の検討に堪えられる限り、重過失犯が成立するのである。

本件においては、被告人は、わら束が多数集積されわらくずも散乱している狭い二階建木造納屋の二階の木の床の上で、なんら危険防止の措置をとらないまま、たきびをするべく、付近から集めたわらくずにマッチで点火したことが証拠上あきらかであつて、その行為の客観的注意義務違反の程度は高く、違法性が強度であつて、それ自体重大な過失に該当するというに十分である。そして、原審における証拠調の結果(〈中略〉)を総合して判断し得る被告人の社会生活上の能力の程度に徴するとき、被告人は痴愚に属する精神薄弱者であることや、所論にかんがみ記録を精査し、所論の当時の寒さ、被告人の孤独感、飢餓感、恐怖感、半覚醒状態等の諸事情を十分に考慮しても、被告人は犯行当時心神耗弱の状態にあつたとはいえ、その主観的注意能力の点において右過失行為による本件結果発生の予見可能性およびその回避可能性に欠けるところはなかつたと認めることができる。

してみれば、本件結果の発生につき被告人に重過失犯の刑責を問うに十分であり、原判決が原判示のとおりの重過失失火の事実を認定したのは正当である。そこには所論のごとき事実誤認はなく、論旨は理由がない。

(控訴趣意第三について)

論旨は、要するに、「禁錮刑を選択した原判決の刑の量定は重きに過ぎ、被告人に対しては罰金刑で処断するのが相当である」というのである。

よつて調査するに、本件犯行における過失行為の態様は、わら束が多数集積されわらくずも散乱している木造建物の木の床の上で、なんら危険防止の注意を払わないまま直接たき火をしたものであつて、その程度は重く、結果としても農家の二階建独立納屋(床面積計約六四平方メートル)の二階(同約二九平方メートル)部分を全焼させているほか、幸いに発見が早く、付近住民による消火活動が奏効して建物構造物の消失、崩落等に至らない段階で鎮火するに至つたものの、隣接建物(両側に同様の納屋建物が接し、その各隣に接した住宅がある)との関係で生じさせた公共の危険の程度も高かつたとみられることに徴すると、被告人の責任は重く、精神薄弱者で常に両親の疵護のもとにある被告人に対する特別予防の見地をも考慮するとき、所論にかんがみ検討しても、被告人に対してはむしろ禁錮刑をもつてのぞむのが相当で、罰金刑で処断すべきものとは考えられない。しかし、本件建物は人の住居に使用せずかつ人の現在しないものであつたこと、被告人自身の注意能力の程度はかなり低く、痴愚者として犯行当時心神耗弱の状態にあつたこと、火災による損害の点につき建物所有者の言によれば、建物自体は建設後五十数年を経過してすでに償却ずみであり、ただ消失した農器具等の動産の見積額が一〇万円程度であるというのであるが、これに対し被告人の両親は早速誠意をもつて見舞金を含む一二万円を支払い、被害者においても被告人の知能の低さとこれによる両親の苦労を知つて宥恕の意を示し、すでに示談ずみであること、被告人は幼時から知能が低く社会的能力に劣るが、両親がこれをよくしつけ、日常生活の中で苦労しながら善導してきたため、その庇護のもとに二七歳の現時点まで本件以外には大きな過誤なく社会生活を送つて来ていること、被告人は上衣で火を叩き消そうとしあるいは靴で踏み消そうとしたのち火災現場から逃げ出しているのであつて、本件である程度の恐怖心も体得していると考えられること、その被告人の具体的な受刑能力、これに与える刑罰の威嚇力、両親の心痛等記録上認められる諸般の事情を総合するとき、刑の執行を猶予しているとはいえ、被告人に対する原判決の刑の量定は、禁錮刑の刑期の点において重過ぎるものがあると思料される。論旨はこの限りで理由がある。

よつて、刑訴法三八一条、三九七条一項により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書に従い自判することとし、原判決が認定した事実に原判決摘示の各法条を適用して、主文のとおり判決する。

(戸田勝 梨岡輝彦 岡本健)

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